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偽一万円札ってことで
福沢諭吉 「心訓七則」
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世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事をもつことです

世の中で一番寂しいことはする仕事がないことです

世の中で一番醜いことは他人の生活をうらやむことです

世の中で一番尊いことは人の為に奉仕し決して恩に着せないことです

世の中で一番美しいことは総てのものに愛情をもつことです

世の中で一番惨めなことは人間として教養のないことです

世の中で一番悲しいことは嘘をつくことです

世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れぬことです
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世の中で一番寂しいことにならないように、
世の中で一番楽しく立派なことを探し求めるための今日このごろ。
大分の偉人、福沢諭吉の言葉をトイレで眺めながら、お腹ゴロゴロ。
初めて一万円札を手にしたのは、いつごろ?もっところがって来ていいよ。


野口大臣と新渡戸大臣を両手に率いる福沢総裁が世の中を支配し回してて、
全ての日本国民に親しげに近寄っては、いつの間にか去り、

世の中で一番楽しく立派なことが難しくなり
世の中で一番寂しいことが増え
世の中で一番惨めにならないようにするにも、福沢総裁の許可が必要だったりして
世の中で一番醜いことにつながり
世の中で一番悲しいこともする

そんな世の中です。

でも
世の中で一番尊いことも
世の中で一番美しいことも
世の中で一番素晴らしいことは
福沢総裁の許可なくともできます。
それができるのは、人間です。

福沢総裁が関わるところに、世の中のマイナス面があり、
関わらないところに、世の中のプラス面がある。
まさにあなたを挟んで世の中は表裏一体。世の中の全て。

あなたを責めている訳ではありません。
あなたももっと大きな上の人たちから選ばれて総裁になっただけですし
そしてこの「心訓七則」もあなた自身の言葉ではなく
後年に偽作されたものだと言われてますから。
それを知ったときは、少しショックでしたが・・・。
これから僕は、誰を想ってトイレに入ればいいのでしょうか?
世の中は悲しいことばかりなのでしょうか?
あなたの名前を騙って、この言葉を偽作した人もいますし、
あなたのダミーを作って、世の中を回そうとしてる人もいます。

それでも僕は、あなたの教えが悲しい人に伝わって、
つい騙っちゃたことにして、あなたの言葉として受け入れましょう。


最後に福沢総裁に質問があります。

「次の総裁は誰になりそうですか?」

これまで、世の中を周り巡って、総裁に相応しい方はいましたか?
夏目大臣の後継の野口大臣のように、科学出身の方でしょうか?
新渡戸大臣のように、平和や外交に貢献した方でしょうか?
樋口大臣のように、文学界の方でしょうか?
もしかして、寅さん、石原裕次郎とか映画界?
堅いところで、政界?
それとも、今後も福沢総裁が再選し、任期継続するのでしょうか?

戦後の1950年代から僕が生きている現代までで、次期総裁に相応しい方はいますか?
僕にはどうしても考えが及びません
複雑にこんがらがってて、それでいて均一な現代日本で、
評価され後世まで名を残し、日本を支配できるような偉人は誰でしょう?

えっ!?僕も後継者候補に入ってますって?
非常に嬉しいのですが、謹んで辞退させていただきます。
そのかわり・・・
もっと僕のところに足繁く通ってくださいね。
2006-03-29 02:19 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
死の谷
今日、原チャ乗りながら、「死」について考えてみた。
聴いていた歌の詩に「死」という言葉があったから。
人はいつ初めて、「死」という概念というか言葉を知るのか?
別に死にたいわけではないです。
前回の日記のときはへこんでましたが、死のうなんて思わないし、もう大丈夫です。
今なんて、黄色のTシャツに黄色のジャージはいて、ブルース・リーみたいな格好になっちょんしw
「ホァター!!」っち…関係ねぇけど。

別に暗いところは何にもなく、ただ不思議に思っただけなんやけど、
人はいつ初めて、「死」を知るのか?
もう少し明確に書くと、「子どもはいつ、何によって死を知り、親はどのように子どもに死を理解させるのか?」ということかな?

ここで僕が考えた死の定義のようなものは
「死んだ生物は一切の活動をしない。」っち感じです。
で、子どもは物心つく(?)3歳~5歳くらいの想定で。

「子どもはいつ死を知るか?」
まず、子どもは何の死を経験するか?

1.テレビアニメの悪役の死
 死ぬ、殺すというより、「やっつける、倒す」という感覚なんかな?
 ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊ものは敵が爆発して死んだりする。
 それに対して、ポケモン、アンパンマンなどは死までは至らない。
 回収したり、ばいばいき~んで終わる。
 「正義(主役)=悪を殺す」という発想を抱かせない点では良質なアニメと言えるんかな?
 とすると、ブッシュ大統領の考えは子ども向けアニメ程度のものなのかと安直に結びつけて思ったりした。

2.身の周りの昆虫、小動物などの死
 猫が道路で轢かれてた、鳥が死んでたなど。
 僕の経験:バッタを袋に入れてたら死んでた。飼ってたカブトムシの死。
 父がゴキブリを新聞紙で叩いて殺した。
 川でくらげを壁にぶち投げて殺していた(くらげは生きてるんか、死んでるんか分からん!!)
 蟻を踏みつけて遊んでた…etc。こんな感じ。
 殺したに近いけど、あまりそういう感覚はなく、死に対する感覚も薄いのではないか?

3.家族、ペットの死
 これは間違いなく、死と向き合うことだろう。まだ完全に理解できなくても、死を知るということ。
 僕の父方の祖父は僕が生まれる前に、祖母は僕が1歳くらいの頃に亡くなって、
 母方の祖父母は健在なので、僕はこのような記憶がない。
 小学生のときのハムスターの死なら経験あるけど。

このように幼い頃に体験し得る死を大きく分けてみた。抜けてるのもあるやろうけど。
1~3の順に、現実性、自分との関係が大きくなってくるように思える。
単純な考えだが、「死の大きさ=情の大きさ」やなと思ってしまう。
僕は家族や友人の死を体験したことはない。できることならしたくないけど。
それでも、死を知っている。
絵本やアニメの中から死を感じとり、知ったのか?
虫や小動物の死の場面で、両親が死ということを教えてくれたのか?
僕にとって、最初の「死」は何の死か?
それは見て知ったものか、自分が殺して知ったのか?
その時どう感じたのか?
何の役にも立たないけど、知りてぇなぁ。

「親はどのように子どもに死を理解させるのか?」

これは実際に身近な人の死を体験してない僕がいろいろと書いてしまうと、不快に感じる人もいるかもしれないので、書きません。


今日の日記は死について書いてみましたが、決して死を軽んじてというわけではありません。
そう易々と死を口にするなって言われるかもしれませんが。
ただ幼い子どもにとっては経験するもの全てが未知で不思議で新しい発見である中でも、大きな、今まで在るものがなくなるという、生に対するところにある「死」をどう捕らえ、感じるのかということに疑問を感じ、シンプルに考えてみただけです。


「死ぬ気でやれよ。死なないから。」
そうでな!死ぬ気でやってみよう!
甘えを捨てて、でも無謀でもなく。
やっていこう。
2005-05-19 02:28 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
Go flat my brain.
今日は朝と夜バイトが入っていたので、昼寝をしたら…。
震度5くらいの地震が三回起こる夢と火災現場の夢を見た。

地震の夢は夢の中でも寝ている状態で「なんか揺れてるなぁ。地震かぁ。」と大して慌ててなかった。
しかし、火事を発見する場面はバイトしているホテルの窓から火柱と煙が見えて、
「火事や!!」と思い、よく見ると(不思議とめちゃくちゃズームして見えた)、
同じ職場のおばちゃんの市営住宅の付近で燃えていることが分かった。
気がつくと原付に乗って、その現場に向かっていた。
バイト中に抜け出したのか、バイト後だったのかは不明。
ところが、火災現場は市営住宅の近くの中学校だった。
そして、ほとんどの中学生が避難し終えたころに、燃え盛る校舎のすぐ側でぼうっと眺めている男子がいた。
「こらお前何やってるんだ!早く逃げろ!」と正義感丸出しでラグビーのタックルみたいに強引に連れ戻す。
その子とグラウンド中央まで避難した僕は燃え続ける校舎を眺めていた。
ここでお終い。

自分の中の野次馬根性とちっぽけな正義感を見ることができた。
地震と火事…。何かの暗示か深層心理の表れなのだろうか。知りてぇ~。

目が覚めて、新しく隣に引っ越してきた新入生にメールで「今日地震あった?」と聞くと、「多分ないと思う。」と来た。
多分ってあんた!と思いつつ、夢であることを確認。
何よこの災害特集は!
明日は津波と隕石か?
夢の中ならなんでもいいんやけど。
今は現実で精神的にしんけん参っちょんにぃ。
もしや…自分の精神状態を地震と火事が表してるのか?

という訳で自己診断を始めます。
「メス。…これはやっかいだぞ。ピノコ!ガーゼ!脈拍は!?」
「あっちょんぶりけ!!」
冗談はこのくらいで。
少し客観的に書いてよう。
それでは先生お願いします。
はい。まず、夢の中で地震をあなたは体感しました。
しかし、気にも留めず昼寝を続けたということですが、
この場合の地震はあなたの現実生活の危機的状況であり、それに気づいていながら、
慌てない、危機から逃れようとしないということは、実際に危機感や備え、計画性がないことを表しているといえます。
次に、火災現場を発見し、そこに行き、少年を助けるという夢です。
この夢から考えられることは、あなたは好奇心が強く、いろいろなことを体験したいと思っています。
それが、危険を伴う火災現場(自分の手に及ばないこと、困難なこと)にまで興味本位で近づいていきます。
そして、自分は安全だ(自分にはできる、なんとかなる)と考えています。
もちろん火災現場に行ったからといって、あなたが鎮火することはできません。
しかし、傍観者のつもりでありながら、危険な状況にある少年を助けずにはいられない少しの正義感と行動力を持っています。
あなたはその少しの正義感と行動力を持っていますが、基本的には傍観者の立場にいることに安心します。
しかし、どうにでもなれと割り切れず見捨てられず、苦しむみます。
それゆえ、物事に中途半端に手を出し、少しの成果で自己満足しますが、火を消す側にならない、問題解決や責任から逃れたいのではないでしょうか?
二つの夢を総合して判断しますと、あなたは前々から自分の危機的状況に気づいていたが、見過ごし、
さらに自分が始めたことを最後までやり遂げることができず、責任や課題を果たせずにいる、ということでしょうか。
しかし、あなたは自分でそのことを十分に分かっています。
あなたが問題と向き合い、決断と行動がきちんとできれば、あなたの不安も解消されるでしょう。

すげぇ~。本当にこの夢が精神状態を表しているようではないか。しかもなんと的確な診断&アドバイス!
カウンセラーになろうか。といっても、自分のことやけん、自分でよく分かってるもんな。
分かってるけど、できてないだけ。

Go flat my brain…Don't yell at me.
Don't yell at me…Don't overdo it.
You can't know to much about life.
Spring is here again.
Tender age in bloom.
I wanna just go my way.
just do it.
Yes, without a doubt.
I'm lift standing here.
I've got nothing to say.
All is silent with in my dream….
Please listen to the wind…Sound strange,
Today is my day.
Now I've got it.
I don't mind if I don't have a mind.
Spring is here again.
Tender age in bloom.
I wanna go my way.
Just do it.
Yes, without a doubt.

                AIR "Doubt"
2005-04-03 02:40 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
OMOIDE IN MY HEAD
友達のblogからZAZEN BOYSのドラムス、アヒト・イナザワの脱退を知って、しんけん悲しかった。
しかし、その友達のblogを読んでいるうちに、悲しさは薄れていった。
「ほんと、うまい文章書くな~」、「その本読んでみてぇ!」「そのCD聴きてぇ!」「さすが俺の惚れた男やわ~」などと感じ、気を持ち直したところで寝ようとした。

寝ようと思ったが、この前考えていたことが頭をめぐり、出口に近づいてきた。

3日の日記で、「味や香りは思い出せるものなのか?」と書いた。
味や香りは思い出しにくいし、思い出せても鮮明ではなく、あやふやだと思っていた。
「見たこと、聞いたことは鮮明に思い出せるのはなぜか?」と考えた。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
<五感と記憶>

最初に考えたこと
嗅覚の記憶はなぜ曖昧か?
>形がない。見たもの、触ったものは形や色があるから思い出せる。味は形は無いが、料理の見た目から連想される。しかし、そうなると料理の見た目から匂いも連想されるということになるのではないか?視覚の力が大きいからそれに付随した記憶ということだろうか?

次に考えたこと
感じた回数や頻度によって、思い出しやすさが違うのか?
>食べ物や料理の味や香りは継続的ではないからか?普段食べない豪華な料理、外国で食べた料理の味や香りは、それを感じる回数が少ないから記憶として定着しない。ではいつも食べているものでは?しかし、毎日同じものを食べているわけではない。頻度が少ないから定着しない。
>好きな曲はしばらく聴いていなくても、声、リズム、音まではっきりと思い出せる。しかし、それまでに何回も何回も聴いていたからという回数によって定着したのだろう。

ん~いまいち納得できない。
比較的思い出しやすい視覚、聴覚、触覚と思い出しにくいと考える味覚、嗅覚の違いは?
>形があるものと形がないもの。でも音に形はない。歌っている人やCDジャケットとして形はある。時計の秒針の音も時計という形からイメージが沸いてくる。モノや形の無いところから音は出ないような気がする。しかし、それは味や匂いにもいえる。

そ・し・て

ひらめいたこと
カメラ!ビデオカメラ!録音機!
内面と外面!

人間の記憶も上の機械と同じやん!味や香りを保存する機械はない!
視覚はカメラやビデオカメラ。
聴覚は録音機、レコーダー。
でも、触覚、味覚、嗅覚に相当する機械は無い!なんで!?
というよりも作れない!!!
なぜなら!!
触覚、味覚、嗅覚は同じものを体験しても人それぞれによって感じ方は違う!!!
すべての人が全く同じ様には感じない!!
それを言ったら、「同じものを見て同じ音を聞いても、みんながみんな同じように感じるとは言えないじゃん!」
というツッコミも考えましたよ。対策バッチリです!

視覚、聴覚、触覚から得る情報は「事実」ということ。
それをその人どう感じるかはその人次第。

例えば、
信号機の色。赤、黄色、そしてもうひとつの色を「青」か「緑」かどっちに見えようが、その色がそこにある事実!
こんにゃくを触ってみて、「ぐにゅぐにゅで柔らかい」と感じても「弾力性があって硬い」と感じても、それは同じこんにゃくだという事実!!
犬の鳴き声が「ワンワン」と聞こえても、「バウワウ」と聞こえても、そこにあるのは変わらない音という事実!!

そう、自分の外面にある事実。

それに対し、味覚や嗅覚は自分の内面的なものであるということ。

同じモノを食べても「おいしい」と感じる人もいれば、「おいしくない」と感じる人もいる。
同じ食べ物、がそこにあるという事実は変わらないが、味や香りはそれを自分が体験するまではモノには存在しない。
味や香りが他の外面的な感覚からの情報と違う点は、自分自身で感じることによってのみ発生する内面的なものだということ。

「とうがらしにはカプサイシンという成分が含まれている事実があって、人間は誰でもそれを辛いと感じるんだよ。」とツッコミが入るかもしれないが、もちろん人間全体に共通する味覚や嗅覚の反応もあるかもしれない。しかし、味、香りの感じ方、反応は固体別で、その人の属する文化、習慣、体質、嗜好などによって違うと思う。

<結論>
視覚、聴覚、触覚は外面の事実の情報をそのまま伝える。
ここまでは誰であろうと完全に同じで、それを記憶する。その後どう判断するかはその人次第。
しかし、味覚、嗅覚からの情報は事実(そこにあるモノ)はあるが、味や香りに全員一致の絶対的な事実はなく、自分が感じたときに残る内面の感覚の情報だけを記憶する。
視覚、聴覚、触覚が鮮明に記憶できるのは外面の事実(そこにある物事)という正確な情報があるからで、味覚、嗅覚の記憶が曖昧なのは、自分の内面から発せられた漠然とした印象に近い情報をもとにしているからである。
さらに、視覚、聴覚、触覚と比べ、味覚や嗅覚は人間にとって生存するうえでの必要性が低く、前者に比べ発達していないので、それに伴う脳内の記憶装置も発達していないと考えられる。
味や香りはほんの一時的なものであって、同じものを感じる回数や頻度も少ないことから記憶としての定着性も小さく、それを思い出す機会も少ない。
味や香りを思い出そうとしても漠然とは感じるが鮮明には思い出せない理由を私は以上のように考える。

おおおおおおおおおお!!!!
レポートみたいやん!!!
全部自分で考えました!
引用、参考など一切してません。
間違っちょんかもしれんけど、足りないとこ、つっこまれるとこもいっぱいあるかもしれんけど、俺すげー。
よくがんばった!My Brain!
なんか成し遂げた気分やぁ。
久々にしんけん考えたなぁ。
自己満足。すっきりんこ♪
2004-12-19 02:47 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
季節と季節の変わり目に恋をする少女だったときもあった。
今朝7時から昼までバイトをし、その帰りにスーパーへ買い物に行った。
夫婦で、家族のために買い物する主婦でスーパーはにぎわっていた。
にぎやかなその中でなぜか寂しくなった。
孤独な感じがした。
アイスクリームの試食販売をする女の子。
草薙剛がCMしているあのアイス。
「やっぱり冬にアイスは売れませんよねぇ」と店員さんと話す。
俺は冬でもアイス食うぞ!とひとつ購入。
「ありがとうございました」と女の子の声を背中で受ける。
なかなか売れずに困っていたのと、四割引だったから。
スーパーを出て帰路へ。
いつもと違う道に入ったらだいぶ遠回りをしたが、
それでもいいと思った。
音楽を聴きながら原付乗っていたかった。
部屋に帰るともっと寂しくなりそうな気がして。

部屋に帰り、寝る。
風邪を引いていたのと前日の寝不足、バイトの疲れですぐに眠りにつく。
友達んちで映画上映会があったが、いけなかった。
「僕の彼女を紹介します」見たかったなぁ。
「シルミド」もかなり良いらしい。
いつか見てぇー!

夜9時過ぎに起きる。
高校のときの親友から、10時からの番組でミスチルの桜井和寿のap bankの特集があると聞く。
じゅんぺい大好き☆教えてくれてありがと!
もちろん、その番組を見た。
最近僕が考えていた環境問題と個人でできること、環境、未来の世代を想うことなどが、わかったような気がした。
音楽で成功しお金に余裕があるから、そんなことできるんだという意見もある。
僕も少しそう思う。
しかし、それでもそういった活動をすることは尊敬できる。

ここで少し"ap bank"について紹介。
「櫻井和寿、小林武史、坂本龍一の3人が拠出した資金を、自然エネルギー、省エネルギー、環境に関するさまざまなプロジェクトに融資する機関です。金利は1%、運営資金も自分たちで拠出する非営利組織です。
私たちは、今、世の中で使われているエネルギーを自然エネルギーに代替することは決して無理なことではないと考えています。また、みんなが地球のこと、自分たちの身の回りの社会のことを考えるようになれば、もっと暮らしやすい、居心地のいい未来が開けてくると信じているのです。
その未来のトビラを開いてくれるアイデアやプロジェクトを応援し、同時に、そのアイデアが生み出していく可能性をもっと知りたくて「ap bank」をつくりました。」

以上、ap bank HPより抜粋 http://www.apbank.jp/

apとは"artist power"の略。
その活動とあわせて桜井を中心に結成されたbank bandのライブ映像の中で、桜井和寿はこのように語っていた。

「僕がこのap bankの活動をいても僕には何のメリットもないけれど、この活動が次の世代、未来の環境につながっていくこと、そしてよりよい環境を目指す人たちの活動に関わっていくことを楽しく感じる。自分にメリット全くないけど、とても楽しんでいる自分がいる。」

正確には覚えてないが、こう語っていて心に残った。
一人一人が個人の生活の中で環境改善に取り組むことは、その人にとっては何のメリットもないだろう。ゴミを減らすようにする、節電、節水などの心掛けても、実際の日本や世界中の環境悪化には焼け石に水のようだと僕は思っていた。
僕は今の生活の便利さを捨てて、環境保護に取り組むことはできないと思う。
でも、誰もが、自分の便利さも保ちつつ、無駄を省いたり、日ごろから環境改善のためにできることがあると思う。
焼け石にちょっとずつでも、ずっと水をかけていけば無駄ではないはずだ。
その小さな小さな心がけが広がり、大きな流れとなり、企業や政府も巻き込む流れ、今の世界の環境悪化をくいとめる流れになることを期待する。
自分にメリットがなくても、環境のため、未来の子孫たちのために、自分がほんの些細なことでも、それらを意識して生活する、そしてそれを「楽しい」「うれしい(?)」と感じる気持ちが大切で、そう思う人が増えたら、環境の状況は少しでも変わっていくのではないだろうか。自分一人が意識して生活しても無駄だという気持ちがなくなり、できることはしようとみんなが思ったらいいなと、今日の特集を見て感じました。

僕は経済活動と環境対策は相反するものではないかと考える。
森林保護を目指せば、林業で生活している人の職が不安定になるかもしれない。
しかし、このままではいけない。

普段気づきにくい環境問題やそれに対する取り組みを、Artist Power、音楽だからこそ、世間に伝え心に残すことができる、この活動を僕は支持し、もっと多くの人に環境問題に気づかせてほしい。

音楽や詩は心を動かす。
心は人を動かす。
人が動けば、何かが変わる。
2004-12-12 02:49 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
安心、自信、自由
子どもが安心して自信を持って自由に生きることのできる社会。

子どもの人権
子どもの権利条約

~~~子どもはこれまで、人権の権利主体としてではなく、「未熟な人間」だからという理由で、「保護」や「教育」の対象として考えられ、権利を制限されるべき存在であるとされてきました。
しかし、すべて、人はかけがえのない尊厳を持つ存在であり、人権は生まれながらにして、すべての人に認められるものです。
子どもが独立した人格を持つ一人の人間としての権利の主体であることは明らかです。
子どもであることの特性は、権利を制限されることではなくて、成長過程にある人間として成長や発達に関わる権利を持っていることです。~~~
      パンフレット「子どもをめぐる人権」大分県 より

最近の日本では、家庭内暴力、いじめ、学校などの教育現場での不合理な扱いなどで子どもの人権が侵されているように思う。
やはり、子どもの人権と考えた場合、子どもだけの問題ではなく、大人に対してのものであるようにも思える(いじめは例外かもしれないが)。
多くの物事に対比されるものがあるように。
「男の子だから~」「女の子だから~」「子どもだから」という昔からの考え方、決め付けもまだまだ根強く存在している。
僕は「女の子だから家のお手伝いしなさい」「男の子なんだからスポーツしなさい」とか男女の性的役割(?)のようなものはどうでもいいと思う。
中には男の子よりも力が強い女の子もいるし、家事が得意な男の子もいるだろう。
男=力が強い
女=家事ができる
といった決め付けはいけないのだが、力が強い女の子、家事が得意な男の子を例外という風にまだ感じてしまう世の中だと思う。
社会的、立場的に男女は平等であるべきだと思う。
しかし、個人の人格として行動の中での「男らしさ」、「女らしさ」を選び、持つのは差別的なものでなければ、いいと思う。
例えば…女の子が重い荷物を辛そうに運んでいたら手伝ってあげたり、女の子を守ってあげたり、レディーファーストとかぐらいしか思いつかないけれど。
あまり女らしさというものを意識したことがないので、よくわからないが、身体的な特徴などで、異性の足りない部分をサポートしてあげるという考え方はいいと思う。
それができる人には同性にも、相手がだれであろうと相手を思いやり行動できる人ではないかと思うからだ。
男、女と一くくりにしても、共通部分はほとんどなく、結局は男も女も含めて個人差ということになると思う。

子どもの人権から男女の性的役割みたいなのに話が変わってしまい、自分でも何を言いたかったのか忘れてしまった。。。

そうそう。
教育と子どもの自由についてですが、これは今まで書いたのとは正反対な考えを最近抱いています。
最近読んだ本では、人権や生命至上主義とは全く違う考えが書かれていて、論理的で納得させられそうになります。
それでも、僕は人権は非常に大切で尊重されるべきものだと思います。この話は長くなるので別の機会にまた書こう。

最後に
話を子どもの人権に戻して

安心して子どもが生活していけるように作られた「子どもの権利条約」を大人が理解すること、そして自分たちにもそのような権利があることを子どもたちが理解し主張することが大切だと思う。
「子どもの権利条約」といってもほとんどの大人も子どもも知らないでしょう。
僕もつい最近までは知らなかったし、今もちょっと知ったぐらいで、たいしたことはいえません。
しかし、普段「大人」「子ども」と決め付けて見過ごして気づかないような当たり前のこと、子どもも一人の人間として尊重することが大切だと思う。
もちろん、親や大人としての立場もあり、子どもの好き勝手にさせるわけにはいかないが、子どもの思いを聞いてあげ、理解し、アドバイスや歩み寄る必要があると思う。
子どもが自分の思いを言いやすいような関係、ちゃんと話を聞いてあげる態度が大切だと思う。
2004-11-27 03:00 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
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