スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- | スポンサー広告
死の谷
今日、原チャ乗りながら、「死」について考えてみた。
聴いていた歌の詩に「死」という言葉があったから。
人はいつ初めて、「死」という概念というか言葉を知るのか?
別に死にたいわけではないです。
前回の日記のときはへこんでましたが、死のうなんて思わないし、もう大丈夫です。
今なんて、黄色のTシャツに黄色のジャージはいて、ブルース・リーみたいな格好になっちょんしw
「ホァター!!」っち…関係ねぇけど。

別に暗いところは何にもなく、ただ不思議に思っただけなんやけど、
人はいつ初めて、「死」を知るのか?
もう少し明確に書くと、「子どもはいつ、何によって死を知り、親はどのように子どもに死を理解させるのか?」ということかな?

ここで僕が考えた死の定義のようなものは
「死んだ生物は一切の活動をしない。」っち感じです。
で、子どもは物心つく(?)3歳~5歳くらいの想定で。

「子どもはいつ死を知るか?」
まず、子どもは何の死を経験するか?

1.テレビアニメの悪役の死
 死ぬ、殺すというより、「やっつける、倒す」という感覚なんかな?
 ウルトラマン、仮面ライダー、戦隊ものは敵が爆発して死んだりする。
 それに対して、ポケモン、アンパンマンなどは死までは至らない。
 回収したり、ばいばいき~んで終わる。
 「正義(主役)=悪を殺す」という発想を抱かせない点では良質なアニメと言えるんかな?
 とすると、ブッシュ大統領の考えは子ども向けアニメ程度のものなのかと安直に結びつけて思ったりした。

2.身の周りの昆虫、小動物などの死
 猫が道路で轢かれてた、鳥が死んでたなど。
 僕の経験:バッタを袋に入れてたら死んでた。飼ってたカブトムシの死。
 父がゴキブリを新聞紙で叩いて殺した。
 川でくらげを壁にぶち投げて殺していた(くらげは生きてるんか、死んでるんか分からん!!)
 蟻を踏みつけて遊んでた…etc。こんな感じ。
 殺したに近いけど、あまりそういう感覚はなく、死に対する感覚も薄いのではないか?

3.家族、ペットの死
 これは間違いなく、死と向き合うことだろう。まだ完全に理解できなくても、死を知るということ。
 僕の父方の祖父は僕が生まれる前に、祖母は僕が1歳くらいの頃に亡くなって、
 母方の祖父母は健在なので、僕はこのような記憶がない。
 小学生のときのハムスターの死なら経験あるけど。

このように幼い頃に体験し得る死を大きく分けてみた。抜けてるのもあるやろうけど。
1~3の順に、現実性、自分との関係が大きくなってくるように思える。
単純な考えだが、「死の大きさ=情の大きさ」やなと思ってしまう。
僕は家族や友人の死を体験したことはない。できることならしたくないけど。
それでも、死を知っている。
絵本やアニメの中から死を感じとり、知ったのか?
虫や小動物の死の場面で、両親が死ということを教えてくれたのか?
僕にとって、最初の「死」は何の死か?
それは見て知ったものか、自分が殺して知ったのか?
その時どう感じたのか?
何の役にも立たないけど、知りてぇなぁ。

「親はどのように子どもに死を理解させるのか?」

これは実際に身近な人の死を体験してない僕がいろいろと書いてしまうと、不快に感じる人もいるかもしれないので、書きません。


今日の日記は死について書いてみましたが、決して死を軽んじてというわけではありません。
そう易々と死を口にするなって言われるかもしれませんが。
ただ幼い子どもにとっては経験するもの全てが未知で不思議で新しい発見である中でも、大きな、今まで在るものがなくなるという、生に対するところにある「死」をどう捕らえ、感じるのかということに疑問を感じ、シンプルに考えてみただけです。


「死ぬ気でやれよ。死なないから。」
そうでな!死ぬ気でやってみよう!
甘えを捨てて、でも無謀でもなく。
やっていこう。
スポンサーサイト
2005-05-19 02:28 | 思考回路はショート寸前 | Comment(0) | Trackback(0)
Comment
コメントを書く
#

管理者にだけ表示
Trackback
Trackbak URL:http://plus2ai.blog72.fc2.com/tb.php/10-cf242bb4
08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。